中間管理職の役割。上司の語る理想にかけた楠木正成

2016.11.19 (土)

「この人なら自分の思いを共に実現してくれるはず」・・・

 

「大楠公」こと楠木正成さんは時代で言うと「鎌倉時代~南北朝時代」に生きた人です。この辺はほんとにいわゆる「動いていた時代」で、と言うことは・・・、沢山の人間ドラマがある!んですねえ。なので私も好きな時代ですし、ほんとに正成さんの生き様は「かっこいい!」と素直に思います。

 

正成さんは河内国(大阪府)に生まれました。

 

身分には色々な説がありまして「土豪」だとする説や「悪党」だとする説その他がありますが、いずれにしてもそれほど高い身分ではない人だったようです。

※土豪-その土地を治めている比較的小さい豪族

※悪党-幕府(鎌倉幕府)に反抗する人たちを総称した言葉

 

なんですけど本当に良い人だったようで、治めている土地の百姓や家臣からは大変慕われていたと言われています。今で言う地方の小さな会社の「家族経営」的なものが非常にうまく機能していたのではないかと思いますね。

 

そんな時代は鎌倉時代の末期です。今、結果を知っているからこそ私たちは冷静に考えられるんですが、その時代に生きていた人たちはほんとに大変だったんだろうなあと思います。どんな組織も必ず終わりが来るとして、その終わりの時ってうまく行ってないから終わりをむかえるわけで、当時の鎌倉幕府ももうボロボロでどうしようもなかったんですね。

 

当時は東に「鎌倉幕府」と言う武家政権があって、西には遠い平安時代からの「京=朝廷」があって、いわゆる「武家」と「公家」はその頃はあまりうまく行っていませんでした。鎌倉幕府が朝廷を結構力でおさえこんでいたので、朝廷のほうはすごく不満を持っていたんです。

 

更にどんな組織も末期になってくると自分たちのぜいたくな生活を維持するために家臣や部下にたいして必要以上の負荷をかけるので、地方の正成さんを始めとした地方経営者の人たちも鎌倉幕府に不満を持っていたわけです。

 

となると・・・、そうですね、いつの世も・・・、不満を持っている者同士がつながるんですよねえ。

 

と言う訳で、当時の天皇だった後醍醐天皇は「なんとか鎌倉幕府を倒して自分たちで日本のかじ取りをしたい!」とすご~く思っていました。

 

%e5%be%8c%e9%86%8d%e9%86%90%e5%a4%a9%e7%9a%87

 

この後醍醐天皇、けっこう感情的な(熱い)人だったらしく、次から次へと鎌倉幕府をつぶすためにしかけて行くのですが、これがことごとく失敗に終わって行きます。その最中に後醍醐天皇に協力する形で世に登場したのが誰あろう、正成さんです! 正成さんも「鎌倉幕府ではもう世の中は治められない」と悟り、理想に燃える後醍醐天皇にかけたのでしょう。

 

この2人、この後どうなって行くのでしょうか?

 

それは次回です!

 

明日も1日歴史でたのしくいきいきと!

 

 

部下マネジメント術をまとめた「無料レポート」はこちらから

 

無料レポート虎の巻(無料)はこちら≫

 

▼シェアをお願い致します!▼

関連する投稿

現在の記事: 中間管理職の役割。上司の語る理想にかけた楠木正成

お問い合わせ・ご相談はこちら

お電話でのお問い合わせ

090-5781-9597

フォームからのお問い合わせ

お問い合わせフォーム »

コラムテーマ一覧

過去のコラム

⇑ PAGE TOP