中間管理職の役割。すれ違う心

2016.11.21 (月)

「やっぱりだめなのか・・・」・・・

 

「この人なら理想の世の中を作ってくれる!」と信じて後醍醐天皇にかけ死ぬ気ではたらく正成さん。

 

そんな正成さんの必死な状況を見て・・・、大きな流れができるんです!それまで東の鎌倉幕府のおひざもとで苦しめられていた足利高氏(あしかがたかうじ)や新田義貞(にったよしさだ)を始めとした日本中の武家が「打倒!鎌倉幕府!」で立ち上がるんです!

 

みんなお家がやっぱり大事ですから「ほんとは倒したい!」と思いながらも「失敗したら滅ぼされる」と言う気持ちから二の足をふんでいたんですね。そんな中、先頭きって後醍醐天皇への支援を宣言し、幕府に反旗をひるがえした正成さんの思いにふれるように「打倒!鎌倉幕府!」のうねりは大きくなっていきます。

 

そしていよいよ・・・、鎌倉幕府ほろぶ!となりました。

 

この辺今年の冬に鎌倉に出かけた際のレポートがありますのでもしよろしければこちらをどうぞ→http://goo.gl/e3WIcj

 

1333年(元弘=げんこう3年)に鎌倉幕府は滅亡しました。

 

正成さん的には待ちに待った日が来たんですね! 「やっと民のために後醍醐天皇が素晴らしい国をつくってくれる!」と正成さんは思いきり胸をおどらせていたはずです。なんですけどね・・・(^_^;) そうはならないんですね・・・(T_T) ほんとにかわいそう・・・、正成さん・・・(T_T)

 

この後、後醍醐天皇の下、武家が集まって日本のかじ取りをしていくわけですが・・・。後醍醐天皇が公家のほうばかり見て経営をしちゃうんです(T_T)

 

この「公家VS武家」の構図は以前にもお話しさせて頂いているので詳細ははぶきますが、それこそ平安時代に「武士」が誕生してから始まっているんです。武士は長い間、公家(朝廷)にこき使われてきましたので「武士独自の会社をつくって経営をしたい!」と言う気持ちはずっと持っているんですね。それを初めて実現したのがあの「鎌倉幕府」をつくった源頼朝(みなもとのよりとも)になるわけですが、公家(朝廷)は大きな武力を持っていないので、武力が必要な時は権威をちらつかせて武家を頼るわけです。

 

この・・・、

公家(朝廷)「武家には経営をまかせたくない。自分たちでやりたい」

武家「いいかげんに俺たちを下に見るんじゃない!武力はこっちが持っているんだぞ!」

と言う双方の思いが平行したままず~っと来ちゃってるんですね。

 

じゃあ後醍醐天皇はどうだったかと言うと・・・、やっぱり公家(朝廷)中心の経営をしたい!と言う思いが強かったんです。と言うよりどっちかと言うと後醍醐天皇は・・・、俺のやりたい経営がしたい!と言うことだったんだと思います(^_^;)

 

その経営方針がやっぱり公家(朝廷)を中心にしてやりたいと言うことでどうしても武家はないがしろにされて行ってしまいます・・・(T_T) そんな公家(朝廷)と武家の間にはさまれてしまう正成さんのその後は・・・?

 

次回につづきます。

 

明日も1日歴史でたのしくいきいきと!

 

 

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